バスケ+ストリートカルチャーのWEBマガジン【HALL OF FAME】
HALL OF FAME HALL OF FAMEについて バスケ HIP HOP,R&B スニーカー 商品 おすすめサイト HALL OF FAMEオフィシャルブログ
      
HOME > BALLALIZE > THIS PAGE
#001 the history of LAKERS vol.1

※1当時のサイズでこのプレイを止められる選手はいなかった


※3エルジン・ベイラー


※4ジェリー・ウェストのこのドリブルがNBAロゴになった。


※7スカイフックと言ったらジャバー。誰にも止められなかった。


※9プライベートでも仲がよかったマジックとバード。


※10このMJ vs MJの世紀の対戦に世界中が注目した。

ジョージ・マイカン、 ウィルト・チェンバレン、 エルジン・ベイラー、 ジェリー・ウエスト、
マジック・ジョンソン、 カリーム・アブドゥル・ジャバー、 シャキール・オニール、 そして

現在はコービ・ブライアントとレイカーズは数々のHall Of Famerを (シャックとコービはまだ候補にすぎないが…)生み出してきたNBA創世記から存在する伝統のあるチームだ。

NBA最多勝数、最高勝率、NBAファイナル出場数28回(うち優勝回数14回)、 驚きなのはプレイオフ進出を逃したことが過去5回しかないことだ。 バスケットボールをプレイしている人のみならず、プレイをしたことない人でさえ聞いたことはある(はず) この『ロサンゼルス・レイカーズ』の歴史についてまずはチェックしていただきたい。

NBAは今でこそ全30チーム、アメリカの中でも最も人気のあるスポーツの一つとして知られているが、 発足は意外と新しく1946年。いまから60年前だ。

レイカーズは『デトロイト・ジェイムズ』という名称でNBA発足時に誕生した。

翌年、デトロイトからミネアポリスへ移転し『ミネアポリス・レイカーズ』として現在の名称の元であるレイカーズとなった。 これはミネアポリスにあるミネソタ州が湖が多いことで有名だからである。

この時期に生まれたスターがジョージ・マイカン。※1 208cm、111kgと、当時としてはあまりに規格外のサイズの持ち主であったマイカン。 支配力がありすぎるあまりにルールをも変えてしまうプレーヤーであった。 ショットクロックの導入、ゴールテンディングなど現在のルールの礎を築いた。※2

1960年、ロサンゼルスに移転し現在の『ロサンゼルス・レイカーズ』となった。 移転してもチーム名の変更はなく、湖が一つもないカリフォルニア州なのにレイカーズ…。 これは有名な話である。

ウィルト・チェンバレン、エルジン・ベイラー※3、 現在のNBAのロゴのモチーフでもあるジェリー・ウエスト※4など数多くのスターを擁していたがこの時代。

しかし、リーグの王者は常に『ボストン・セルティックス』であった。 8年間のうち6度もボストンに優勝を譲っていたのだ。まさにセルティックス王朝の真っ只中であった。 ちょうどこの時代の対立構図から『ロサンゼルス・レイカーズ』『ボストン・セルティックス』の ライバルチームとして認識されるようになり、日本の『巨人』『阪神』と同じく『伝統の一戦』と呼ばれるようになった。※5

しばらくの間、ボストンにお門を奪われるような形となっていたレイカーズにとって、転機となったのが ご存知アーヴィン・"マジック"・ジョンソンの加入であった。※6

1979年、ミシガン州立大学時代からスターであったマジックをレイカーズはドラフト1位指名。 PGからCまですべてのポディションをこなし、その卓越したオールランドなプレイと華麗なパスからマジック≠ニ呼ばれたHall Of Famer。 カリーム・アブドゥル・ジャバーらとともに活躍し、ルーキーシーズンからファイナルへ進出。※7

ジャバーが欠場したこの年のファイナル最終戦では45得点15リバウンド7アシストと大活躍。ルーキーにしてファイナルMVPに輝いた。

マジックが加入してからのレイカーズは、名将パット・ライリーの下、速攻を主体とした華やかなプレイを魅せ『ショータイム』と呼ばれるようになった。 日本人初のNBAプレーヤー田臥勇太もマジックのプレイを何度も見てノールックパスの練習をしたという。※8

また先に述べた、『伝統の一戦』ボストンとの戦いでは大学時代からマジックと常にライバル関係であったラリー・バードとの因縁もありさらにその色を強めていった。 ※9

結果、10年の間に8度NBAファイナルに出場。うち5回の優勝。その中でボストンと3度対戦し2度破っており1960年代の借りを返した時代とも言える。 ※10

1991年。
この年のファイナルはマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズとの決戦。※11

当時としては次世代のスターとの頂上決戦ということもあり全世界がこの戦いに注目した。 ジョーダンが決めれば、マジックが決め。 ジョーダンがダンクすれば、マジックがノールックパス。

誰もが興奮したこの決戦の結果はシカゴ・ブルズの初優勝で幕を閉じる。 リーグはこの後マイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズの王朝が始まる。

一方でマジックは、HIV感染によりこのシーズンを最後に引退を表明。 全世界に衝撃を与えた。 まさにマジック・バードの時代から新しい時代に変わっていった年であった。

プレイオフ進出こそ逃さなかったが、レイカーズのファイナル進出はこの1991年以来しばらく遠ざかってしまった…。

続きは次回…。
text: masa9

※2もはやマイカンvsニックスの文字が…


※5ビル・ラッセルとウィルト・チェンバレンは生涯のライバルに。


※6206cmのサイズがありながらPGとして活躍したマジック。
大型PGの先駆けだ



※8マジックのノールックパス。


※10チャンピオントロフィーを分け合った二人。

      
      
■HOME ■ABOUT ■BALL ■MUSIC ■KICKS ■STUFF ■LINKSCOPYRIGHT(C) HALL OF FAME JAPAN ALL RIGHTS RESERVED